アナ・アスラン物語

序章

ジェロビタール化粧品はどのようにして生まれたのか 。 また 、 その生みの親 「 アナ・アスラン 」 とはどの様な人物なのか 。
この連載企画では 、 ルーマニア国立老人医学研究所の協力を得て 、 アナ・アスラン博士の人となりをお話ししながら、
ジェロビタール化粧品の奥深き魅力をご紹介していきます 。

第二章:~第一の発見 、 そして若返り効果の証明~
アナ・アスラン博士

第二次大戦後、アナ・アスラン博士は本格的な老化予防医学の研究に取り組みはじめました。
1946年、ジェロビタールH3の原形である化学含成薬が、自律神経系統に作用する、つまり自律神経失調症の回復を早めることに気付きました。
その後1949年にかけて動脈・静脈への洋射による実験を繰り返した結果、間接炎と間接疾患に対して非常に有効で、単に苦痛を和らげるだけでなく、細胞組織に何らかの影響を与えるということが判明したのです。

1945~51年にかけ、アスラン博士はこの考えをさらに発展させる目的でリューマチ、末端栄養疾患、肢端チアノーゼの患者の静脈または動脈に注射を行ってデータをとった結果、それらの症状は顕著に消えました。
また、ラット(ネズミ)に関節炎を誘発させたうえで、動脈注射を行ったところ、注射を受けたラットと受けなかったラットの相違が明らかになりました。すなわち、間接炎は85%が治療できるばかりか、この処置を受けた動物は毛の輝きがよくなり、体重の増加も認められたことから効果に確信を持つようになりました。
1949年以降、初期ジェロビタールH3を使ってリューマチの治療をした人々のデータをとったところ、歩行性と記憶力の向上などにも効果のあることが観察されました。これは一度老化してしまった人間の機能が薬品によって回復する可能性があることを証明したものであり、アスラン博士にとって、長年の悲願でした。
これまでの臨床実験結果をもとに、60~90才の老人にこの治療を施し、臨床的、心理学的、科学的、血液学的見地からさらに研究を重ねていきました。

1950年にはその滋養特性、1952年に白髪防止効果、そして1954年にはついに、老化防止と治療における新薬ジェロビタールH3の滋養と若返り効果を、それぞれ学会に発表するに至りました。
この間、7600人におよぶ薬理的データと臨床治療例がまとめられており、薬学者の協力を得て改良が重ねられ、ついに新しい老化予防薬ジェロビタールH3は製品化されたのです。

1956年、アスラン博士はスイスのバーゼルで開催された「老人病学ヨーロッパ会議」で、この成果を発表したところ、各国の医学者の注目を一身に集め、世界的な反響をまき起こしました。翌1957年にはルーマニア厚生省の製造認可がおり、ついに生産が開始されたのです。

つづく第三章はコチラ

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